板の上

下書きに書いて保存してあったこと。

 

りなが居なくなってから、他の芸能の世界の人を好きになること、応援すること、大好きと伝えること、推しとすること、心の底からは出来なくなった。

 

いつでも、りなは頭の中にも心の中にもいつも側に居て、考えない日はなくて、写真を見てため息をついたり、ただいまと言ったり、寂しいと言ったり、会いたいと言ったり、毎日話しかける。

 

りなが居なくなる前から、好きだなと思っていた子、居なくなってから初めて見て、好きだなと思った子、どちらとも、どうやってこの気持ちを持っていいか分からずに悩む。

 

でも、悩んでいることは惹かれていることで、現実的に、物理的に、今居るその子たちに、元気をもらったり、落ち込んでいるときにはその出来事を忘れさせてくれている。

 

その子たちを見ているときは、色んなことを忘れさせてくれる。もう普通じゃこれって好きってことで、応援したいってことで、もっと知りたくなる。

 

「悩む」っていうのは、りなに対しても、その子たちに対しても、失礼で、自分が嫌で。

本当に好きなら本気で好きになりたいし、本気で応援したいし、なんでも知りたくなる。

 

だけど怖い。

本当に好きになって、もしまた居なくなってしまったら、この世から居なくなることは、あまり有り得ないことだけど、でもそれがまさに起きてるんだけど、卒業や、引退や、そうゆうことが起きたら、怖い。もう寂しい思いをしたくない。

 

こんなの、いちファンの勝手な思いで、本人に関係ないし、人の夢に自分の夢乗せてるくせに、口出しなんか出来ないことは分かってる。

けど、惹かれる色んな人たちに真正面から向き合おうとすると、目を背けたくなる。

 

そうゆう思いが、ずっとしてる。

 

8ヶ月たっても、りなは現れなくて。

この前、部屋に飾ってある写真を見て、

「懐かしい」と思ってしまった。

りなのことを懐かしいと思ってしまった。

自分を疑った。

酷いと思った。 

 

 

文章にしたら違う気持ちが出てくるかなと思って書いてみたけど、やっぱりどうやっても結論は出ない。

結論なんか無いのかもしれないけど。

 

大きい気持ちを持って応援したり好きになったりしなくても良いのかもしれないけど、

私はりなを好きになったとき、そうやって好きになったから、そのくらいの気持ちを持ちたいから。

 

 

 

りなと似てるから好きになる。

そう思ってたのに、りなと違うところが見えてきて、やっぱり好きじゃないなって思って。

 

そうゆうとき

「同じような 顔をしてる

同じような 背や声がある

知りたいと思うには

全部違うと知ることだ」

って くせのうたを歌ってる。

 

 

 

「寂しいと 叫ぶには

僕はあまりにくだらない」