じゃあ、君は何なの?

 

吐き出さないと、中身が重くなっちゃいそうだから、吐き出したら、軽くなるかなと思ったから、書いてみる。

 

一週間前から始まったこの思いは

一週間経ってもあんまり軽くならなかった。

 

ずっと緑ばかり見てる

緑をボイスメモに録音して聞いてる。

 

こんなすごい台詞ないよ。

 

以下、台詞です。

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私は、

私は緑です。

 

幼稚園の時に、セーラームーンセーラームーンていうアニメがありました。園庭でよくそのごっこをしてたんですけど、みんなはだいたいセーラームーンとかセーラーマーキュリーを選んで、私はいつも最後まで残ったセーラージュピターで、セーラージュピターのイメージは緑でした。

色には順番があったんです。

女の子が、赤とかピンクとか色分けされたものを分けるとき、私はいつも緑を選ぶ係でした。

選ぶっていうか、選んだふりで、

緑を取るんです。

素直に、赤とかピンクを選べる人が不思議でした。

あなた人生何回目?って思いました。

 私まだ一回目だから、赤が欲しいって言えない。

アニメのセーラームーンは敵と戦ってたけど、女の子たちのごっこのセーラームーンセーラームーン同士で戦うんです。

大人になって、それを別の言葉で知りました。

女の敵は女だよって。

私は初めからそこで負けていたから。

他の子がファッションとか恋とか選ぶ時、私は勉強を選びました、好きじゃなかったけど、残ってたから勉強を選びました。

大学に受かって、友達とか、家族とかみんな褒めてくれました。だけどそこにはいつも「女の子なのに変わってるよね」っていうニュアンスが付け加えられてました。

会社に入って、やりたいことを頑張ろうって思ってたら、テプラの研修があって、どうしてか女子だけテプラの研修があったんですけど、同期の子が言いました。

「男は勝てば女に愛されるけど、

 女は勝っても男に愛されなくなる。

 女は、勝ち負けとか放棄して、男に選ばれて初めて勝利するんだ」

あれ?じゃあ私、一生勝てないじゃんて思いました。だって緑だもん私って思いました。

 赤も緑もピンクも全部黒ければ良いのに、黒いセーラームーンがいたら良かったのにって。 

 

 それで私、

 そうゆう自分をたぶん見たくなくて。

色んなものを人を、 見下したり見上げたりしていたんですけど。

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 このあとの台詞は「最近、レストランのバイトを始めて…」で終わります。

 

今の私にはこのあとどうやって生きたら良いか分からないよ。

どうしたらいいの。

ずっと、まだ、見下して見上げてるよ。

 

 

問題のあるレストランより。

パラリンピック

東京セレモニー見なきゃ!

と思ってたけど起きられなくて、目が覚めてMIKIKO先生のインスタを見て泣いた。

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これが答えじゃないか。

 

セレモニー公式サイト

https://m.tokyo2020.jp/jp/special/rio-to-tokyo/paralympic-flaghandover/

 

仕事に行く電車内でセレモニーの動画を見た。

https://youtu.be/78Nhl85_wIY

そしてまた泣いた。笑

 

「できることが、できなくなった」

じゃなくて

「できないことが、できるようになった」

そうなんだ。

 

そうだったんだ。

 

 

今回のパラリンピックは、始まる前からNHKで深夜やっていた特集などを見て、とても興味を持っていた。

むしろ、見なければいけないと思っていた。

なぜか分からないけど、そう感じた。

 

 

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ここから書くことは、私の勝手な解釈です。

ひどいことを言っているかもしれない。

でも素直に書いておきたい。

そう思わせてくれてすごく嬉しかったから。

 

その特集で映っていた人たちは、みんな一度地獄を見たような、一度死を見たような、そしていま生きているような、

「ただ地獄を進むものが悲しい記憶に勝つ」

そんな気がした。

インタビューを受けて答えるまでの、目に、声色に、間に、言葉の裏側に、色んなものが隠れているようだった。それにすごく親近感を覚えた。

だから、もっと知りたいと思った。その人たちが競技をしている姿をちゃんと見なければいけないと思った。

 

義足の選手がとても格好良かった。

自転車競技で、風の抵抗を少なくするために薄く、細くなっている義足を、直接ペダルに取り付ける。自転車と一体化している。ヘルメットの形と相まって、人間に見えなくて、もう、本当に格好良くて、あんな風になりたい!と思った。

 

ドイツの義足走り幅跳びのレーム選手は、昨年、ロンドンオリンピック金メダル記録を越える跳躍を見せた。

パラリンピックではなく、オリンピックに出るには、義足が有利に働かないことを証明する必要があった。

とても難しい問題なのは分かっているが、私個人の考えは、障がいがあってもオリンピックに出場していいと思った。

 

失ったものから進むために身につけた方法。

それが健常者を越えたらストップされるのはおかしいと思った。

 

今回は完全な証明ができなかったためオリンピックの出場は見送られたが、パラリンピックで大会新記録を出し、金メダルを取った。その記録はオリンピックの5位に相当した。

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いま一度セレモニーを見てみた。

やっぱり感動する。笑

 

笑っちゃうくらい心が動く。

 

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かわいそうだとか、痛そうだとか、そう感じてしまう自分も確かにいる。

「◯◯なのに、すごい!」とか、同情の気持ちも、たぶん感じてしまっている。

実際に目の前にしたら、どう接していいか迷うだろう。

興味という言葉で表すのは失礼かもしれない。でも、とても興味がある。知りたい。

目を背けたくない、会いたい。
早くあなたに会いたい。

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「人ができないことができる」

大切な言葉に出会えた。

GIMICOさんありがとうございます。

 

パラリンピック、ものすごく、格好良い。

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このスカイツリーになってるところが一番好き!

178日振り

ホワイトデー以来らしい。


暑い時は文章を書きたくなくなるのだろうか。


昼前に目が覚めたが、そのまま寝て起きてを繰り返し、何も食べないまま25時過ぎにカップラーメンとトーストとアップルパイを食べた。


ここ数日食欲が全くない。

というか、食べなくてもいい。

というか、食べようと考えることが苦痛だ。



ガリガリだとか細いとか、「ちゃんと食べてる?」と言われるのも正直面倒くさい。


拒食症ではないので本当に悩んでいる方には申し訳ない。

でも飲み込もうと思わなければ食べられない時もある。


朝には朝ご飯、と時間通りに食べなくてもいいじゃないか。

食べたい時に食べて、寝たい時に寝たい。


なんだか欲望の塊みたいな発言だ。


でもやっぱり、その、時間通りに、曜日通りに、みたいな感覚が小さい時からすごく嫌いだ。


朝昼夜とちゃんと食べなきゃいけないのは、

健康的な体を維持する為に必要なのだろう。


それでも、一旦その縛りみたいなものを忘れさせてほしい。

だからこんな時間に文章を書いている。

一番好きな時間だからだ。



数時間寝たら仕事に行こう。

きっとめまいでフラフラするだろう。

迷惑な奴だ。

ホワイトデー

ホワイトデーはうって変わって寒かった。


売り上げは素晴らしく、なんでこんなに売れるのか謎だった。みんなケーキ好きなのな。作っても作っても追いつかず、シフトは体のために三連勤までで固定なのに、店が心配になってセットアップだけしに行ったら、ちょっとこりゃ手伝わなきゃ無理だと思い、結果、五連勤になってしまった。

拙者、忙しい自慢でござる!


でも五連勤は自信だ。ここまでやれたという自信のための自慢だ。許してやってほしい。


だがその急遽出勤した日は誕生日だった。

一応、誕生日には思い入れはある。

そんなの気にしないよ〜!とは言い切れない。

だって震災の日だし。

テレビ付けてもみんな悲しい顔をしているので、家にいるのが嫌になって店に行ったのだ。


誕生日にホテルの最上階のレストランでディナーの予定があったらすごいなと妄想を捗らせながら、倉庫のなかでいそいそとサブレを詰めたりチョコレートを詰めたりしていた。


前日にお店のみんなにケーキをもらって、お祝いをしてもらっていたので充分だった。


それは本当に嬉しいことだった。


まさかあんなに大きいケーキがあるなんて驚いた。

去年からの大進歩である。

思いが大きさに現れるわけではないが、作ってくれたことと、みんながクラッカーやバルーンなどをもってお祝いしてくれたことが、とてもとても嬉しかった。

私が存在していることが確認できた。

嬉しかった。


色んなところに書いているのでもう言葉の価値が無くなっているが「26歳よく頑張ったね」といわれている気がした。


だって頑張ったんだもん。

自分の保険証だって手に入れたんだもん。

クリスマスもバレンタインもホワイトデーもめちゃくちゃ忙しかったしやること多かったし失敗するのが怖かったし、それを回避するための準備や危険を排除していくのがとっても大変だったんだもん。


全てを確実に、正確に、やりたかった。

だからやった。



震災が起きた五年前、誕生日にお母さんから手紙をもらっていた。

その存在を忘れていた。

五年経って読み返した。

泣いた。


その手紙には

「一歩でも半歩でもいいから進もう。がんばらないで、がんばりましょう。」

と書いてあった。

五年前に読んだ時も、泣いた。

でもそれは今回とは違う気持ちだったと思う。


五年前は、この言葉が辛かった。重かった。プレッシャーだった。

どこへ進めば良いのか、どう進めば良いのかが全く分からなかった。がんばり方も分からなかった。むしろ、その時もがんばっていた。

それが悔しくて、泣いた。

そんな涙だったと思う。



五年前経ったいま、捉え方は変わっていた。

私は前に進んだ。

がんばった。

そう、胸をはって思えることに、泣いた。


ひとから見たら、そんなに大きい一歩ではない。むしろ、何も動いていないかもしれない。

でもその手紙を読んだ自分は、嬉しくて泣いた。

ああ、あの時より心が軽くなっている。

それは、気づかなかったけど、半歩でも進んでいることを分からせてくれた。







ホワイトデーと誕生日は、バレンタインほどアツいイベントにはならなかった。

むしろ心臓が冷たく感じるほど、辛かった。悲しかった。虚しかった。

それは私が期待し過ぎていたからだろうか?


いや、そんなの、期待するじゃん。


「希望がないと不便だよな

漫画みたいに、日々の嫉み、とどのつまり

僕が笑えば解決することばかりさ」



幸せになったり、死にたくなったり、

春は忙しいな。

今年のバレンタインはあつかった

前のブログ読み返すと恥である。



まあ、いい、そんなときもあるから書いたのだ。



バレンタインが終わった。

まだ名残があるし、このままダラダラとホワイトデーまでいきフィニッシュだろう。


この辺まで書いて、文体を思い出して「〜である」調に書き直している。


なんかその方がかっこいいじゃん。



今年のバレンタインはパンデミックが起きスタートで転倒した影響か、売り上げはあまり伸びなかった。


パンデミックという言葉の響きが好きなので色んな人に「パンデミックだ!」と言って騒いでいたが、あまり伝わっていないようでつまらなかった。

そもそもそんなに声を大にして言う言葉でもない。

秘密事項だ。


パンデミックは大変で、鳴り止まない電話に私も悪寒を感じ「ああ、ついに罹ってしまった、もうおしまいだ」と絶望したが発症しなかった。想像発症だった。



バレンタインとは、

職場や学校でお菓子が行ったり来たりする行事だ。


自分へのご褒美と名付けられた、デパートの催事場で売られている外国人パティシエの作ったチョコレートを数日間に渡って吟味し、夜な夜なドラマの録画やレンタル映画を見ながらコーヒーと一緒に楽しむのだ。


固まっているものを溶かしてまた固めたものが教室を駆け巡り、砂糖と小麦粉と卵で作られた何かが装飾を施され、透明のビニール袋に入れられInstagramに載る。前日まで「バレンタインめんどくさい」と言っていた彼女は「バレンタイン大好き」という文章と共にたくさんのそれを投稿する。


私が何百個と包装したお菓子たちはどこに流れ着き、どんな時間を過ごしたのだろう。


あげた人が「あれ美味しかった!」と言われていることを願う。



何百、何千とリボンを結んだものが完売しているのは嬉しい。


クリスマスの時も感じたが、私は「売る」ということが心から好きなようだ。

DNAレベルで好きだ。

どこの職場に居ても「もっと売ってやる」という思いが原動力で働いていた。

いくら接客が最も大事だといわれようが「売った」時の快感はたまらない。

どうしたら売れるかを考えながら、商品を並べ、声を出し、結果が出る。


「売るのが好き」と言うのは「接客が好き」というよりなんだか下品だ。

そんなところも「売る」が好きな理由だ。


「売る」に対して愛情を感じ始めた私は、前世は有名な商人だったのではないかと思い始め、嬉々としながらそのことを話してみた。すると

「前世って人間じゃないらしいよ」

と言われた。

そうなのか。

まああまりこの人生良いものとは思えないし、前世で人殺しだったのだろう、しょうがないと今世を哀れんでいたが、人間じゃないとするとなんなのだろうか。

「なんか強い動物だったんじゃない?弱肉強食の強食の方」

そうか。じゃあ自分はなんだと思うの?と聞いた。

「んー、虫とか。」


虫に本を与えてしまったが大丈夫だっただろうか。

本の虫とかいうからいっか。



そんなあついバレンタイン。

チョコレイトディスコだ。

ゆき

文章が書きたい!書きたい!書きたい!


だが、

お腹が痛い。もう、

踏んだり蹴ったりだ。


帰り道、まだみぞれだったので大丈夫だろうと自転車に乗ったら、角を曲がってすぐ転けた。

「ダメか〜」

と謎の納得を声に出してしていたが、膝を強打するわ、濡れるわ、何人かに目撃されるわ、

「ああ、いつものことだ」

と思った。


熱を出した子の代わりに出勤し、連勤になり、いつもの倍以上の仕事をし、疲労困憊、私が一番頑張った、自分仕事頑張ってる自慢が止まらないときは、

最後の最後で痛い目に遭う。

「もう、慣れている」


滑ってなかなか起き上がらない自転車を唸りながら起こし、もう乗るのはこりごりなので押して帰った。









もう限界だ。

お腹が痛いし眠いしめんどくさいしつらい。




つらいつらいつらいつらい。

報われたい報われたい報われたい報われたい。


なんでもいいから幸せになりたい。。。






期待したわたしが馬鹿なんかじゃない。

好きになった方が負けなんかじゃない。


そう思わせて下さい、

この世界よ。

踊る

くぅ〜。


いまあまり落ち着いてないので上手く文章にならないかもしれない。


源ちゃんのライブに行ってきて、すぐ帰るのも嫌なので、余韻に浸る為にわざわざいつものスタバに来た。


何を書こうかな。

源ちゃんのことかな。


今日はなんと源ちゃんにファンレターを書いてプレゼントBOXに入れて来た。

大物アーティストさんが読んでくれるのか分からないけど、伝えたい思いは伝えたいから、手紙書くの好きだから、アイドルで鍛え上げられた手紙書き能力で書いた。


その手紙に書いたのと同じようなことをブログに書こう。



源ちゃんを気になりだしたのは、本当ミーハーなSUN新規。GAOで無料で見れたMVをふと見たら、パジャマからスーツに着替えた瞬間の格好良さに一目惚れした。

SAKEROCKとか、俳優業もなんとな〜く知っていて、塩顔として人気があって、そこにいまからハマるのもミーハー感満載だな〜と遠目から見ていたのだが。

だんだんと曲が頭から離れなくなり、ライブがあることを知り、そのチケットの先行がCD特典で付いてくることを知り、すぐCDを買い、無事当選し、ライブ二日間行き、今までのDVDを買い、本を買い、、、ずぶずぶになった。


でも、SUNだけではこんなにハマらなかった。一番の理由は「蘇る変態」を読んだことだった。

Twitterなどを見て、一度倒れて復活して活動していることは知っていた。しかしそのことをインタビューなどでも探しきれなかったので、その部分が詳しく載っている「蘇る変態」を本屋で探して、すぐ読んだ。


イメージが全く変わった。

「サブカル女子に人気の塩顔男子」だと思っていたこの人の「死」への考え方が、とても好きだった。


こんなこと言うのは大袈裟かもしれないが、私は自分自身のことを、病気になった時一度「死んだ」と思っている。

そこからずっと「死」は近くにあって、生活をしている。

本に書いてあったが、源さんは倒れた時、一度死を見た。そして、それは思っていた通りだったそうだ。

「死」は大きなことや目を背ける事柄ではなく、あっけなくやって来る。だからすぐ近くにある。


本を読んで私は嬉しかった。「死」を考えたって良いじゃないか。そりゃ怖いけど、いつかくる。

「僕たちはいつか終わるから」

だから踊る。笑う。生活をする。仕事をする。生きる。

それが歌にも散りばめられていて、本当に嬉しかった。


地獄でなぜ悪い

初めは苦手な曲だったが、今は大好きな曲だ。

この曲は源さんが病床で書いた曲だ。

「無駄だここは元から楽しい地獄だ」

「生まれ落ちた時から出口はないんだ」

「いつも窓の外の憧れを眺めて」

「教室群れをはぐれた重い空をゆく」

「生まれ落ちた時から居場所などないさ」

「動けない場所からいつか明日を掴んで立つ」


「ただ地獄を進むものが悲しい記憶に勝つ」


私にとって、この世界は元から地獄だった、誰がなんといおうと、生きづらかった、学校もつらかった、給食を食べた後必ず痛くなるお腹が嫌だった(源ちゃんがお腹が弱いのも好きになった理由のひとつ)、学校というみんなと同じことをするのが嫌だった、けれど嫌な素振りは見せたくなかった、というか、みんなと違うことをすれば怒られるし、見せてはいけないものだと思っていた。


そうした生きづらさと共に生きていたら、

突然、限界がきて、なにもかもが崩れた。


源ちゃんはここは地獄だと言い切ってくれた。

そうなのだ。

そして進むしかないのだ。

進めば悲しい記憶に勝つと歌ってくれた。


嬉しかった。


「いまつらくてもがんばればきっと花は咲く」

のような歌だったら、こんなに響かなかった。

がんばってる。けどつらい。

つらいのはもう嫌だ。


源ちゃんの歌は

「笑おう踊ろう、なんにもならないかもしれないけど、いつか全部終わるから」

と私には聞こえた。



全部私の受け取り方なので、解釈は人それぞれだと思ってほしい。

他にも「くせのうた」や「くだらないの中に」など書きたい歌はたくさんあるが、それは今度にしようと思う。


今回のライブ、本当にすてきだった。面白かった。楽しかった。もっと好きになった。


「自分の踊りを、人と違っていいから踊って!」という源ちゃんがかっこよかった。

そして私は音楽に身を任せて、音楽を浴びた。


最高に楽しい地獄だった。