踊る
くぅ〜。
いまあまり落ち着いてないので上手く文章にならないかもしれない。
源ちゃんのライブに行ってきて、すぐ帰るのも嫌なので、余韻に浸る為にわざわざいつものスタバに来た。
何を書こうかな。
源ちゃんのことかな。
今日はなんと源ちゃんにファンレターを書いてプレゼントBOXに入れて来た。
大物アーティストさんが読んでくれるのか分からないけど、伝えたい思いは伝えたいから、手紙書くの好きだから、アイドルで鍛え上げられた手紙書き能力で書いた。
その手紙に書いたのと同じようなことをブログに書こう。
源ちゃんを気になりだしたのは、本当ミーハーなSUN新規。GAOで無料で見れたMVをふと見たら、パジャマからスーツに着替えた瞬間の格好良さに一目惚れした。
SAKEROCKとか、俳優業もなんとな〜く知っていて、塩顔として人気があって、そこにいまからハマるのもミーハー感満載だな〜と遠目から見ていたのだが。
だんだんと曲が頭から離れなくなり、ライブがあることを知り、そのチケットの先行がCD特典で付いてくることを知り、すぐCDを買い、無事当選し、ライブ二日間行き、今までのDVDを買い、本を買い、、、ずぶずぶになった。
でも、SUNだけではこんなにハマらなかった。一番の理由は「蘇る変態」を読んだことだった。
Twitterなどを見て、一度倒れて復活して活動していることは知っていた。しかしそのことをインタビューなどでも探しきれなかったので、その部分が詳しく載っている「蘇る変態」を本屋で探して、すぐ読んだ。
イメージが全く変わった。
「サブカル女子に人気の塩顔男子」だと思っていたこの人の「死」への考え方が、とても好きだった。
こんなこと言うのは大袈裟かもしれないが、私は自分自身のことを、病気になった時一度「死んだ」と思っている。
そこからずっと「死」は近くにあって、生活をしている。
本に書いてあったが、源さんは倒れた時、一度死を見た。そして、それは思っていた通りだったそうだ。
「死」は大きなことや目を背ける事柄ではなく、あっけなくやって来る。だからすぐ近くにある。
本を読んで私は嬉しかった。「死」を考えたって良いじゃないか。そりゃ怖いけど、いつかくる。
「僕たちはいつか終わるから」
だから踊る。笑う。生活をする。仕事をする。生きる。
それが歌にも散りばめられていて、本当に嬉しかった。
『地獄でなぜ悪い』
初めは苦手な曲だったが、今は大好きな曲だ。
この曲は源さんが病床で書いた曲だ。
「無駄だここは元から楽しい地獄だ」
「生まれ落ちた時から出口はないんだ」
「いつも窓の外の憧れを眺めて」
「教室群れをはぐれた重い空をゆく」
「生まれ落ちた時から居場所などないさ」
「動けない場所からいつか明日を掴んで立つ」
「ただ地獄を進むものが悲しい記憶に勝つ」
私にとって、この世界は元から地獄だった、誰がなんといおうと、生きづらかった、学校もつらかった、給食を食べた後必ず痛くなるお腹が嫌だった(源ちゃんがお腹が弱いのも好きになった理由のひとつ)、学校というみんなと同じことをするのが嫌だった、けれど嫌な素振りは見せたくなかった、というか、みんなと違うことをすれば怒られるし、見せてはいけないものだと思っていた。
そうした生きづらさと共に生きていたら、
突然、限界がきて、なにもかもが崩れた。
源ちゃんはここは地獄だと言い切ってくれた。
そうなのだ。
そして進むしかないのだ。
進めば悲しい記憶に勝つと歌ってくれた。
嬉しかった。
「いまつらくてもがんばればきっと花は咲く」
のような歌だったら、こんなに響かなかった。
がんばってる。けどつらい。
つらいのはもう嫌だ。
源ちゃんの歌は
「笑おう踊ろう、なんにもならないかもしれないけど、いつか全部終わるから」
と私には聞こえた。
全部私の受け取り方なので、解釈は人それぞれだと思ってほしい。
他にも「くせのうた」や「くだらないの中に」など書きたい歌はたくさんあるが、それは今度にしようと思う。
今回のライブ、本当にすてきだった。面白かった。楽しかった。もっと好きになった。
「自分の踊りを、人と違っていいから踊って!」という源ちゃんがかっこよかった。
そして私は音楽に身を任せて、音楽を浴びた。
最高に楽しい地獄だった。
よろこび
見てくれている、というのは嬉しい。
そうです、あなたのことです。
あのクリスマスのあと年末年始で忙しく、働き、15日が経った。
このところ心の調子が良くない。
ネカフェの時に電車に恐怖を覚えてしまったからか、動悸がすることが多く、乗るのに相当の体力が要る。そうならないためにコントロールしようとするのだが、これにも体力が要る。
もう、へとへとだ。
新年になり、親戚に挨拶をしに行った。
私に向ける話題は決まっている。
「いい人いないの?」
ドラマの世界のようだが、本当の話だ。
しかし言いたくなる気持ちも分かる。むしろ、それしか私に対して話題がないのだろう。
弟には部活や学校の話題がある。父や母は病気の話。26歳独身の姉には何を聞くだろう?
そう考えると結婚が一番に出てくるのも仕方ないし、私が逆の立場であっても聞くだろう。
ただそれは、ものすごく、重い。
従姉妹で結婚していないお姉さんが二人いるので、どちらが先に…の件も毎回行われる。
もう来年は仕事と嘘を吐いて挨拶まわりに行かなくてもいいかなと思い始めている。
ただそれはそれで面倒くさい問題が起こるのだろうけれど。
先日、職場の仲の良い友達に赤ちゃんが産まれた。
切迫早産で苦しんで、何ヶ月も入院し、やっと産まれた。母子ともに健康で、本当に良かった。入院中連絡を取っていたので、生まれたと聞いたときは本当に嬉しかった。
人間から人間が産まれてくる。生命の神秘を間近で感じた。
かかりつけの病院の待合室で順番を待っていると、少し体調の悪そうな若いお母さんと、生まれたばかりの赤ちゃんを抱っこしている若いお父さんがとなりに居た。
赤ちゃんの湿疹の相談に来ているようだった。
赤ちゃんが少しぐずって泣いていたので、ふとそちらの方を見た。
気づくと私は泣いていた。
涙が止まらなくなった。
以前もこの感情を味わったことがある。
かかりつけ医の先生に、一度婦人科に女性ホルモンの検査をしに行くことを勧められ、婦人科に行った時だ。
弟が生まれた時に行った時は小さかったので感じなかったが、産婦人科は他の病院とはオーラが違う。足を踏み入れた時から、内科や外科との違いを感じた。
女性が多いからだろうか。
それもあるかもしれないが、なにより、
「生命」
が溢れていた。
「生きる」パワーが充満しているようだった。
待合室にはお腹の大きい妊婦さんが育児雑誌を読み、旦那さんやお母さんと談笑をしていた。
不妊治療の患者さんも居たと思うが、私は、その病院の隅まで漂う生きるパワーに圧倒されてしまった。
自分を見失いそうだったので、待合室で流れていたテレビのためしてガッテンに集中していた。
自分の番が呼ばれ、先生と話すうちに、ためしてガッテンのパワーが切れたのか、涙が出てきた。
理由は詳しく説明出来ないのだが、
たぶん、
「自分は子どもを産めるのか。」
ということと、
「自分は子どもを産まなければいけないのか。」
ということだと思う。
私の中にずっとある「死」への思いを持ったまま、産婦人科という「生」への場所に来てしまったことへの罪悪感を感じていた。
「私はこんなに死にたいのに、ここにいる人たちはみんな新しい命の誕生を心から望んでいる」
という、罪悪感だった。
かかりつけの病院でいつもの薬を処方してもらうために待っている時、ぐずっている赤ちゃんを見て泣いたのも、
「結婚」「出産」「育児」「生」「死」
全て襲いかかってきて耐えられなくなってしまった。
泣きながら診察室に入り、先生と話した。
「新年って焦りません?」
と私は聞いた。
親戚に挨拶しに行き、結婚を急かされる。世の中は今年の目標を決め前に向かって進もうとしている。みんな前を向いている。それが、私を焦らせる。
先生の答えは、
「一日が変わっただけだよ。」
31日が1日に変わるのも、16日が17日に変わるのと同じことだ。
そう言われて、もっと涙が溢れてきた。
そんなこと分かってる。と思った。けど、その言葉が欲しかったのだろう。
簡単に焦る気持ちを抑えることは出来ないが、この言葉を反芻していれば、きっと時が経ち、いつかは解放されていると思う。
目標なんか決めていたら、こんな人生になっていない。
毎日必死に、死を近くに感じながら、生きているのだ。
これから起こるはずだろう
横浜からの帰りである。
握手会が終わって、買い物をしようとデパートに入ったら目当ての店が見つからず、お腹も空いたのですぐみなとみらいからは離れた。横浜駅構内のコーヒー屋のホットドッグを食べ、いま電車に乗っている。
この文章を打つ前まで、本を読んでいた。
本を読みながら、時々見える窓の外の都会の夜景がすごくきれいだった。
頭の中、奥の方がカサカサと鳴った。
乗り物で移動する時、流れていく外の風景を見るのが大好きだ。
その気持ちが頭の中でカサカサ動いた。
ああ、そうだこれだ、と思った。
もう見えないくらい奥の方に仕舞ってしまった。
もっと感じたい。
もっと心からなにも考えずに楽しみたい。
でも深くに仕舞い込みすぎて、
忘れていた。
出掛けたい。
遠くに出掛けたい。
なんの心配もなくきれいなものをきれいと言いたい。
色んな景色を見たい。
行きたいところがたくさんある。
けれど、行きたいという気持ちすらも思わないように、この気持ちは、隠した。
いまに不満があるわけではない。
ようやくここまで来れたことをわかっているから、もうがんばったから、もう高望みはしない。
いまがずっと続いていればいい。
ただ、夜景がとてもきれいだったから。
とんがり
ここ一週間くらい、うまくいっていない。
一週間なのか、期間も覚えてないが、行こうと思っていたところに行かなかったり、やらなきゃいけないことを後回しにしている。
なんだかあまり調子がよくないのは全部天気のせいにする。
そして歯が痛いからにする。
今日久しぶりに歯医者に行った。
レントゲンを撮る機械が変わっていたが、先生は相変わらず格好良かった。
雰囲気イケメンだ。
久しぶりの歯医者は楽しくてずっとニヤニヤしてしまった。
小さな歯医者の待合室にいる、私を含めた四人全員がメガネをかけており、恥ずかしく面白かった。
他人に口のなかを見られているのも面白い。
大口を開けて、唾液を吸い取られながら、人に見せない口のなかを凝視されているのだと思うと吹き出しそうになった。
久しぶりすぎて治療中どこを見てればいいの分からず「天井に絵が書いてあれば子どもは喜ぶんじゃないかなあ〜」などと考えていたが急に思い出した。
目を瞑るんだった。
ああ。先生ごめん。
「こいつ目開けてるよ、やりづれぇなあ」と思わせてしまったかもしれない。
イケメンには嫌われたくない。
神経をとるのに使う機械が、ピーピー鳴っていたのがすごく面白かった。
私の神経が奏でる音色だ。
麻酔をたくさん打って、口が閉まらなくなり、うがいが上手くできないのが滑稽すぎる。
痛い時に反射的に声を出してしまったが、先生が「あとちょっと、はい、大丈夫?よく頑張ったね〜」と優しくしてくれたので全く痛くなかった。
イケメンに優しくされたら痛みなど感じない。
削られて低くなった奥歯は仮の詰め物をされて白くなっている。麻酔が切れて痛くなったので薬を飲んだ。
明日はコンタクトを買いに眼科に行く予定だ。
眼科の先生は関西弁で面白いが、
イケメンではないので楽しみではない。
奥から
ねむい。
今日はとてつもなく眠い。
寝てるのに眠い。家に着いたらすぐご飯食べてお風呂入って寝ようと思うがたぶん無理だろう。だって眠いから動きが遅くなる。
私はこのブログを毎日更新するのだろうか?
書くのが楽しみになってはいるが三日坊主なのできっと続かない気がする。でも書きたい。書きたいと思っているうちは書いておこう。別に誰も何も思っていない。
ねむい。
休憩が基本45分なのだが、10分でご飯食べ、5分で移動し、30分きっちり寝ている。横になれるソファがあるのでそこで寝ている。ソファが埋まっているときは椅子を三つ繋げて寝る。どうしても寝たいのだ。
休みの日は「寝る日」を決めて一日中寝る。ご飯も食べずに寝ているとお母さんに怒られるが、空腹を通り越すと何も感じなくなる。
ただ、次の日エンジンをかけるのに時間がかかるのであまり良い方法ではないのだと思う。それでも一日体を休める日を作らないと怖いのだ。休みだからといって出かけるのは、休みではない。動く日だ。何もせず、身体中のスイッチをオフにしていく日が必要なのだ。
たぶん、そんな日は必要ないのかもしれない。
しかし怖いのだ。怖いから休む。
書いていてそんな感じがした。
明日働いたら休みだ。
だが出かける用事があるので休む日は明後日に持ち越しだ。
ねむい。
ねむいと言葉が湧いて出てこないことが分かった。
ねむるまえに
「明日いる?」
と聞かれたら好きになるからやめてほしい、嘘、やめないで。
閉店作業をしながら、なにかペットを飼ってるかという話題になった。
「私犬飼ってたよ、死んじゃったけど」と言ったら、
高校生の男の子が「ぼく犬種当てます!」と言ってきた。
家の犬は雑種だった。
「犬種?…当ててもいいけどたぶんその質問じゃ一生当たらないよ」
「えっそんなマイナーなんですか?」
と色々あったがたぶん当たらないので「雑種だよ!!!」と言い放った。
するとびっくり、雑種がなにかいまいち分かっていないのだ。
「最近はミックスっていうらしいよ」と伝えると「ああ!」と納得していた。
驚きである。家の周りの犬はほとんどが雑種だった。みんな死んでいるが。
小さいころから犬が飼いたくて、一軒家に引っ越してから犬を飼ってもらった。近所で生まれた子犬を引き取ったのだ。太っている子が良いらしいと聞いていたので一番丸々としている子を引き取った。その体つきから丸っこい名前を付けた。
母犬も茶色い雑種だ。父犬はどこの馬の骨か分からない。
馬ではなく確実に犬だが、母犬が散歩していたか脱走したときに子を授かって帰ってきたからどこの犬か誰も知らないのだ。
子犬たちがクリーム色や白だったので、きっと父犬は白い犬だったのだろう。絵の具みたいなものだ。
家の犬はクリーム色で、耳と尻尾だけ少し茶色だった。耳は食べたくなるくらい可愛かった。
ミックスと雑種だったら雑種の方が似合う犬だった。愛想はあんまり無かったけど「ただいま」と「おかえり」は必ず小屋から出てきて匂いを嗅いでくれた。
最後を看取ったのも私だ。
飲み会で遅くなった私を待っていてくれたように、撫でながら眠った。
死んだときはよく分からなかった。人間のように心臓が止まったら「ピー」となる機械も付けていないし、声も出さないので、あれ?息してない?あれ?もしかして死んだ?という感じだった。
振り返ると深い息を繰り返しているうちに亡くなったと思う。
午前二時くらいだったので、家族に「死んじゃったかもしれない」と起こしに行って、みんなが揃ってから実感して涙が出た。
15年も生きたので、最後の方は徘徊するように同じ場所をぐるぐる回っていた。目も見えないので色んな所にぶつかっていた。少し面白かった。
でも、最後眠る日の夜まで、ご飯は毎日食べ続けた。なんとも食い意地のはった犬だった。
あの時丸々太った子を引き取って良かったと心から思った。
若者よ、雑種はかわいいぞ!