ホワイトデー

ホワイトデーはうって変わって寒かった。


売り上げは素晴らしく、なんでこんなに売れるのか謎だった。みんなケーキ好きなのな。作っても作っても追いつかず、シフトは体のために三連勤までで固定なのに、店が心配になってセットアップだけしに行ったら、ちょっとこりゃ手伝わなきゃ無理だと思い、結果、五連勤になってしまった。

拙者、忙しい自慢でござる!


でも五連勤は自信だ。ここまでやれたという自信のための自慢だ。許してやってほしい。


だがその急遽出勤した日は誕生日だった。

一応、誕生日には思い入れはある。

そんなの気にしないよ〜!とは言い切れない。

だって震災の日だし。

テレビ付けてもみんな悲しい顔をしているので、家にいるのが嫌になって店に行ったのだ。


誕生日にホテルの最上階のレストランでディナーの予定があったらすごいなと妄想を捗らせながら、倉庫のなかでいそいそとサブレを詰めたりチョコレートを詰めたりしていた。


前日にお店のみんなにケーキをもらって、お祝いをしてもらっていたので充分だった。


それは本当に嬉しいことだった。


まさかあんなに大きいケーキがあるなんて驚いた。

去年からの大進歩である。

思いが大きさに現れるわけではないが、作ってくれたことと、みんながクラッカーやバルーンなどをもってお祝いしてくれたことが、とてもとても嬉しかった。

私が存在していることが確認できた。

嬉しかった。


色んなところに書いているのでもう言葉の価値が無くなっているが「26歳よく頑張ったね」といわれている気がした。


だって頑張ったんだもん。

自分の保険証だって手に入れたんだもん。

クリスマスもバレンタインもホワイトデーもめちゃくちゃ忙しかったしやること多かったし失敗するのが怖かったし、それを回避するための準備や危険を排除していくのがとっても大変だったんだもん。


全てを確実に、正確に、やりたかった。

だからやった。



震災が起きた五年前、誕生日にお母さんから手紙をもらっていた。

その存在を忘れていた。

五年経って読み返した。

泣いた。


その手紙には

「一歩でも半歩でもいいから進もう。がんばらないで、がんばりましょう。」

と書いてあった。

五年前に読んだ時も、泣いた。

でもそれは今回とは違う気持ちだったと思う。


五年前は、この言葉が辛かった。重かった。プレッシャーだった。

どこへ進めば良いのか、どう進めば良いのかが全く分からなかった。がんばり方も分からなかった。むしろ、その時もがんばっていた。

それが悔しくて、泣いた。

そんな涙だったと思う。



五年前経ったいま、捉え方は変わっていた。

私は前に進んだ。

がんばった。

そう、胸をはって思えることに、泣いた。


ひとから見たら、そんなに大きい一歩ではない。むしろ、何も動いていないかもしれない。

でもその手紙を読んだ自分は、嬉しくて泣いた。

ああ、あの時より心が軽くなっている。

それは、気づかなかったけど、半歩でも進んでいることを分からせてくれた。







ホワイトデーと誕生日は、バレンタインほどアツいイベントにはならなかった。

むしろ心臓が冷たく感じるほど、辛かった。悲しかった。虚しかった。

それは私が期待し過ぎていたからだろうか?


いや、そんなの、期待するじゃん。


「希望がないと不便だよな

漫画みたいに、日々の嫉み、とどのつまり

僕が笑えば解決することばかりさ」



幸せになったり、死にたくなったり、

春は忙しいな。