今年のバレンタインはあつかった
前のブログ読み返すと恥である。
まあ、いい、そんなときもあるから書いたのだ。
バレンタインが終わった。
まだ名残があるし、このままダラダラとホワイトデーまでいきフィニッシュだろう。
この辺まで書いて、文体を思い出して「〜である」調に書き直している。
なんかその方がかっこいいじゃん。
今年のバレンタインはパンデミックが起きスタートで転倒した影響か、売り上げはあまり伸びなかった。
パンデミックという言葉の響きが好きなので色んな人に「パンデミックだ!」と言って騒いでいたが、あまり伝わっていないようでつまらなかった。
そもそもそんなに声を大にして言う言葉でもない。
秘密事項だ。
パンデミックは大変で、鳴り止まない電話に私も悪寒を感じ「ああ、ついに罹ってしまった、もうおしまいだ」と絶望したが発症しなかった。想像発症だった。
バレンタインとは、
職場や学校でお菓子が行ったり来たりする行事だ。
自分へのご褒美と名付けられた、デパートの催事場で売られている外国人パティシエの作ったチョコレートを数日間に渡って吟味し、夜な夜なドラマの録画やレンタル映画を見ながらコーヒーと一緒に楽しむのだ。
固まっているものを溶かしてまた固めたものが教室を駆け巡り、砂糖と小麦粉と卵で作られた何かが装飾を施され、透明のビニール袋に入れられInstagramに載る。前日まで「バレンタインめんどくさい」と言っていた彼女は「バレンタイン大好き」という文章と共にたくさんのそれを投稿する。
私が何百個と包装したお菓子たちはどこに流れ着き、どんな時間を過ごしたのだろう。
あげた人が「あれ美味しかった!」と言われていることを願う。
何百、何千とリボンを結んだものが完売しているのは嬉しい。
クリスマスの時も感じたが、私は「売る」ということが心から好きなようだ。
DNAレベルで好きだ。
どこの職場に居ても「もっと売ってやる」という思いが原動力で働いていた。
いくら接客が最も大事だといわれようが「売った」時の快感はたまらない。
どうしたら売れるかを考えながら、商品を並べ、声を出し、結果が出る。
「売るのが好き」と言うのは「接客が好き」というよりなんだか下品だ。
そんなところも「売る」が好きな理由だ。
「売る」に対して愛情を感じ始めた私は、前世は有名な商人だったのではないかと思い始め、嬉々としながらそのことを話してみた。すると
「前世って人間じゃないらしいよ」
と言われた。
そうなのか。
まああまりこの人生良いものとは思えないし、前世で人殺しだったのだろう、しょうがないと今世を哀れんでいたが、人間じゃないとするとなんなのだろうか。
「なんか強い動物だったんじゃない?弱肉強食の強食の方」
そうか。じゃあ自分はなんだと思うの?と聞いた。
「んー、虫とか。」
虫に本を与えてしまったが大丈夫だっただろうか。
本の虫とかいうからいっか。
そんなあついバレンタイン。
チョコレイトディスコだ。