誰を何を責めてもいい

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メールが来た。

新都心のスタバで開設してから一年経った。

早い!

 

なので場所は違うけど、スタバで書いています。

 

私には「落ち着いてご飯や軽食を食べられるところ」が限られています。

一度ひとりでレストランでご飯を食べている時に気持ち悪くなってしまったので、それから怖くて、行けるお店が限られていきました。

スタバによく行くのは、ミーハー心もあるけれど、「安心できる場所」という認識があるからです。

 

 

いちねん。

 

一年前は楽しかったな。笑

明るい未来しかなかったじゃないか。

結局そうなってしまうのは、このブログを開設しようと思った理由が、頭の中で抱えていた思いをアウトプットしないと溢れそうだったから。

あと、その時源ちゃんの本たくさん読んでいて、文章を書きたくなったから。

 

いまその溢れそうな思いは、なんていうか沈んだり、淀んだりしたものばっかりで。

 

(ああ、めっちゃ良い曲流れてきた…MAROON5 / Better That We Breakでした。そうだよ、ベターザットなんだよ。)

 

いま、今まさに今は、そんなに考えてない。

 

音楽聞いてる時は本当に落ち着いていられる。から、働いてる時も頭の中流していたい。そしたらもっと心落ち着いて働ける気がするのにな。

もう少ししたらマライヤがBGMにやってくるだろうし。

マライヤ…待ってるぞ。

今年も一緒に歌おうではないか。

 

 

 

 

10年前、高校三年生の11月のこのくらいの時期も、すごく黄昏てた。

「部活」っていう私を作るのに一番大事なもの、居場所を無くして、空虚で、ずっと電車に乗って、海まで行った。

降りずにずっと車窓を覗いて海が見たくて、ずっとずっと乗ってたら、すごくキレイな駅に着いた。ホームから海が見えて、夕焼けで。ずっとずっと見てた。色んな思いと一緒に忘れたくないってその時思った。10年経ってもちゃんと思い出せる。忘れてないよ。

 

 

きっと秋だからなんかセンチメンタルになっちゃって。魚座ってロマンティックだから文章書きたくなっちゃって。

 

恥ずかしいけど、

気持ち悪いけど、

許してください。

 

 

海を見に行った時、ずっとBONNIE PINKを聞いてたから、今でもボニー姐さんはあの時の気持ちにさせてくれます。

(#nowplaying Last Kiss / BONNIE PINK)

ファッ◯ンゾーン

好きになられるって課金制なのかな?

みんなどのくらいお金払ってるのかな?

結構高いんだろうなあ、

みんなちゃんと働いてるからなあ、

どこで払うのかなあ?

それ売ってるところみたことないんだけど、

まだレベルが足りないからなのかな?

歯も生えるの遅かったし、

足も遅かったし、

早生まれだし、

いつもそうゆうの遅いんだよな。

どうやってレベル上げるのかなあ。

ジムで戦ったりするのかなあ、

戦うの好きじゃないから、

いっぱい歩いて卵を孵化したり、

色んなものを捕まえたりしてるんだけど、、、

それだけじゃやっぱり足りないのかなあ。

洞窟の中に入ると迷っちゃうから、

自分が楽しいところにずっといるんだ。

洞窟は、暗くて狭いし怖いから入れない。

そうゆう時に課金したら次に進めるのかな?

 戦うためには強くならなきゃいけない。

すぐ負けちゃうからね。

負けて帰ってきたらキズ薬で治すんだ。

でもあまり戦わないから、

キズ薬は捨ててるんだ。

だから急に負けたら、

薬なんて無くて、自分で治すんだ。

 

みんなゲームが上手だな。

どんどんレベルが上がってる。

どんどん先に進んでる。

どうやってるの?

教えてほしい。

 

羨ましいな。

みんなが羨ましいな。

 

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恋愛マンガやドラマって、

だいたい主人公の女の人が

嫌なことや辛いことがあって、

お酒飲んで忘れようとして、

バーとかに行って、

飲みすぎて頭クラクラしてると、

偶然かっこいい男の人が現れるんだ。

その人に愚痴とか聞いてもらって、

いつの間にか気を失って、

朝になって目が覚めて、

いつもの真面目な自分に戻って、

お話が始まる。

 

バーってどこにあるんだろ。

 

 

世の中わかんないことがいっぱい。

じゃあ、君は何なの?

 

吐き出さないと、中身が重くなっちゃいそうだから、吐き出したら、軽くなるかなと思ったから、書いてみる。

 

一週間前から始まったこの思いは

一週間経ってもあんまり軽くならなかった。

 

ずっと緑ばかり見てる

緑をボイスメモに録音して聞いてる。

 

こんなすごい台詞ないよ。

 

以下、台詞です。

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私は、

私は緑です。

 

幼稚園の時に、セーラームーンセーラームーンていうアニメがありました。園庭でよくそのごっこをしてたんですけど、みんなはだいたいセーラームーンとかセーラーマーキュリーを選んで、私はいつも最後まで残ったセーラージュピターで、セーラージュピターのイメージは緑でした。

色には順番があったんです。

女の子が、赤とかピンクとか色分けされたものを分けるとき、私はいつも緑を選ぶ係でした。

選ぶっていうか、選んだふりで、

緑を取るんです。

素直に、赤とかピンクを選べる人が不思議でした。

あなた人生何回目?って思いました。

 私まだ一回目だから、赤が欲しいって言えない。

アニメのセーラームーンは敵と戦ってたけど、女の子たちのごっこのセーラームーンセーラームーン同士で戦うんです。

大人になって、それを別の言葉で知りました。

女の敵は女だよって。

私は初めからそこで負けていたから。

他の子がファッションとか恋とか選ぶ時、私は勉強を選びました、好きじゃなかったけど、残ってたから勉強を選びました。

大学に受かって、友達とか、家族とかみんな褒めてくれました。だけどそこにはいつも「女の子なのに変わってるよね」っていうニュアンスが付け加えられてました。

会社に入って、やりたいことを頑張ろうって思ってたら、テプラの研修があって、どうしてか女子だけテプラの研修があったんですけど、同期の子が言いました。

「男は勝てば女に愛されるけど、

 女は勝っても男に愛されなくなる。

 女は、勝ち負けとか放棄して、男に選ばれて初めて勝利するんだ」

あれ?じゃあ私、一生勝てないじゃんて思いました。だって緑だもん私って思いました。

 赤も緑もピンクも全部黒ければ良いのに、黒いセーラームーンがいたら良かったのにって。 

 

 それで私、

 そうゆう自分をたぶん見たくなくて。

色んなものを人を、 見下したり見上げたりしていたんですけど。

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 このあとの台詞は「最近、レストランのバイトを始めて…」で終わります。

 

今の私にはこのあとどうやって生きたら良いか分からないよ。

どうしたらいいの。

ずっと、まだ、見下して見上げてるよ。

 

 

問題のあるレストランより。

パラリンピック

東京セレモニー見なきゃ!

と思ってたけど起きられなくて、目が覚めてMIKIKO先生のインスタを見て泣いた。

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これが答えじゃないか。

 

セレモニー公式サイト

https://m.tokyo2020.jp/jp/special/rio-to-tokyo/paralympic-flaghandover/

 

仕事に行く電車内でセレモニーの動画を見た。

https://youtu.be/78Nhl85_wIY

そしてまた泣いた。笑

 

「できることが、できなくなった」

じゃなくて

「できないことが、できるようになった」

そうなんだ。

 

そうだったんだ。

 

 

今回のパラリンピックは、始まる前からNHKで深夜やっていた特集などを見て、とても興味を持っていた。

むしろ、見なければいけないと思っていた。

なぜか分からないけど、そう感じた。

 

 

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ここから書くことは、私の勝手な解釈です。

ひどいことを言っているかもしれない。

でも素直に書いておきたい。

そう思わせてくれてすごく嬉しかったから。

 

その特集で映っていた人たちは、みんな一度地獄を見たような、一度死を見たような、そしていま生きているような、

「ただ地獄を進むものが悲しい記憶に勝つ」

そんな気がした。

インタビューを受けて答えるまでの、目に、声色に、間に、言葉の裏側に、色んなものが隠れているようだった。それにすごく親近感を覚えた。

だから、もっと知りたいと思った。その人たちが競技をしている姿をちゃんと見なければいけないと思った。

 

義足の選手がとても格好良かった。

自転車競技で、風の抵抗を少なくするために薄く、細くなっている義足を、直接ペダルに取り付ける。自転車と一体化している。ヘルメットの形と相まって、人間に見えなくて、もう、本当に格好良くて、あんな風になりたい!と思った。

 

ドイツの義足走り幅跳びのレーム選手は、昨年、ロンドンオリンピック金メダル記録を越える跳躍を見せた。

パラリンピックではなく、オリンピックに出るには、義足が有利に働かないことを証明する必要があった。

とても難しい問題なのは分かっているが、私個人の考えは、障がいがあってもオリンピックに出場していいと思った。

 

失ったものから進むために身につけた方法。

それが健常者を越えたらストップされるのはおかしいと思った。

 

今回は完全な証明ができなかったためオリンピックの出場は見送られたが、パラリンピックで大会新記録を出し、金メダルを取った。その記録はオリンピックの5位に相当した。

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いま一度セレモニーを見てみた。

やっぱり感動する。笑

 

笑っちゃうくらい心が動く。

 

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かわいそうだとか、痛そうだとか、そう感じてしまう自分も確かにいる。

「◯◯なのに、すごい!」とか、同情の気持ちも、たぶん感じてしまっている。

実際に目の前にしたら、どう接していいか迷うだろう。

興味という言葉で表すのは失礼かもしれない。でも、とても興味がある。知りたい。

目を背けたくない、会いたい。
早くあなたに会いたい。

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「人ができないことができる」

大切な言葉に出会えた。

GIMICOさんありがとうございます。

 

パラリンピック、ものすごく、格好良い。

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このスカイツリーになってるところが一番好き!

178日振り

ホワイトデー以来らしい。


暑い時は文章を書きたくなくなるのだろうか。


昼前に目が覚めたが、そのまま寝て起きてを繰り返し、何も食べないまま25時過ぎにカップラーメンとトーストとアップルパイを食べた。


ここ数日食欲が全くない。

というか、食べなくてもいい。

というか、食べようと考えることが苦痛だ。



ガリガリだとか細いとか、「ちゃんと食べてる?」と言われるのも正直面倒くさい。


拒食症ではないので本当に悩んでいる方には申し訳ない。

でも飲み込もうと思わなければ食べられない時もある。


朝には朝ご飯、と時間通りに食べなくてもいいじゃないか。

食べたい時に食べて、寝たい時に寝たい。


なんだか欲望の塊みたいな発言だ。


でもやっぱり、その、時間通りに、曜日通りに、みたいな感覚が小さい時からすごく嫌いだ。


朝昼夜とちゃんと食べなきゃいけないのは、

健康的な体を維持する為に必要なのだろう。


それでも、一旦その縛りみたいなものを忘れさせてほしい。

だからこんな時間に文章を書いている。

一番好きな時間だからだ。



数時間寝たら仕事に行こう。

きっとめまいでフラフラするだろう。

迷惑な奴だ。

ホワイトデー

ホワイトデーはうって変わって寒かった。


売り上げは素晴らしく、なんでこんなに売れるのか謎だった。みんなケーキ好きなのな。作っても作っても追いつかず、シフトは体のために三連勤までで固定なのに、店が心配になってセットアップだけしに行ったら、ちょっとこりゃ手伝わなきゃ無理だと思い、結果、五連勤になってしまった。

拙者、忙しい自慢でござる!


でも五連勤は自信だ。ここまでやれたという自信のための自慢だ。許してやってほしい。


だがその急遽出勤した日は誕生日だった。

一応、誕生日には思い入れはある。

そんなの気にしないよ〜!とは言い切れない。

だって震災の日だし。

テレビ付けてもみんな悲しい顔をしているので、家にいるのが嫌になって店に行ったのだ。


誕生日にホテルの最上階のレストランでディナーの予定があったらすごいなと妄想を捗らせながら、倉庫のなかでいそいそとサブレを詰めたりチョコレートを詰めたりしていた。


前日にお店のみんなにケーキをもらって、お祝いをしてもらっていたので充分だった。


それは本当に嬉しいことだった。


まさかあんなに大きいケーキがあるなんて驚いた。

去年からの大進歩である。

思いが大きさに現れるわけではないが、作ってくれたことと、みんながクラッカーやバルーンなどをもってお祝いしてくれたことが、とてもとても嬉しかった。

私が存在していることが確認できた。

嬉しかった。


色んなところに書いているのでもう言葉の価値が無くなっているが「26歳よく頑張ったね」といわれている気がした。


だって頑張ったんだもん。

自分の保険証だって手に入れたんだもん。

クリスマスもバレンタインもホワイトデーもめちゃくちゃ忙しかったしやること多かったし失敗するのが怖かったし、それを回避するための準備や危険を排除していくのがとっても大変だったんだもん。


全てを確実に、正確に、やりたかった。

だからやった。



震災が起きた五年前、誕生日にお母さんから手紙をもらっていた。

その存在を忘れていた。

五年経って読み返した。

泣いた。


その手紙には

「一歩でも半歩でもいいから進もう。がんばらないで、がんばりましょう。」

と書いてあった。

五年前に読んだ時も、泣いた。

でもそれは今回とは違う気持ちだったと思う。


五年前は、この言葉が辛かった。重かった。プレッシャーだった。

どこへ進めば良いのか、どう進めば良いのかが全く分からなかった。がんばり方も分からなかった。むしろ、その時もがんばっていた。

それが悔しくて、泣いた。

そんな涙だったと思う。



五年前経ったいま、捉え方は変わっていた。

私は前に進んだ。

がんばった。

そう、胸をはって思えることに、泣いた。


ひとから見たら、そんなに大きい一歩ではない。むしろ、何も動いていないかもしれない。

でもその手紙を読んだ自分は、嬉しくて泣いた。

ああ、あの時より心が軽くなっている。

それは、気づかなかったけど、半歩でも進んでいることを分からせてくれた。







ホワイトデーと誕生日は、バレンタインほどアツいイベントにはならなかった。

むしろ心臓が冷たく感じるほど、辛かった。悲しかった。虚しかった。

それは私が期待し過ぎていたからだろうか?


いや、そんなの、期待するじゃん。


「希望がないと不便だよな

漫画みたいに、日々の嫉み、とどのつまり

僕が笑えば解決することばかりさ」



幸せになったり、死にたくなったり、

春は忙しいな。

今年のバレンタインはあつかった

前のブログ読み返すと恥である。



まあ、いい、そんなときもあるから書いたのだ。



バレンタインが終わった。

まだ名残があるし、このままダラダラとホワイトデーまでいきフィニッシュだろう。


この辺まで書いて、文体を思い出して「〜である」調に書き直している。


なんかその方がかっこいいじゃん。



今年のバレンタインはパンデミックが起きスタートで転倒した影響か、売り上げはあまり伸びなかった。


パンデミックという言葉の響きが好きなので色んな人に「パンデミックだ!」と言って騒いでいたが、あまり伝わっていないようでつまらなかった。

そもそもそんなに声を大にして言う言葉でもない。

秘密事項だ。


パンデミックは大変で、鳴り止まない電話に私も悪寒を感じ「ああ、ついに罹ってしまった、もうおしまいだ」と絶望したが発症しなかった。想像発症だった。



バレンタインとは、

職場や学校でお菓子が行ったり来たりする行事だ。


自分へのご褒美と名付けられた、デパートの催事場で売られている外国人パティシエの作ったチョコレートを数日間に渡って吟味し、夜な夜なドラマの録画やレンタル映画を見ながらコーヒーと一緒に楽しむのだ。


固まっているものを溶かしてまた固めたものが教室を駆け巡り、砂糖と小麦粉と卵で作られた何かが装飾を施され、透明のビニール袋に入れられInstagramに載る。前日まで「バレンタインめんどくさい」と言っていた彼女は「バレンタイン大好き」という文章と共にたくさんのそれを投稿する。


私が何百個と包装したお菓子たちはどこに流れ着き、どんな時間を過ごしたのだろう。


あげた人が「あれ美味しかった!」と言われていることを願う。



何百、何千とリボンを結んだものが完売しているのは嬉しい。


クリスマスの時も感じたが、私は「売る」ということが心から好きなようだ。

DNAレベルで好きだ。

どこの職場に居ても「もっと売ってやる」という思いが原動力で働いていた。

いくら接客が最も大事だといわれようが「売った」時の快感はたまらない。

どうしたら売れるかを考えながら、商品を並べ、声を出し、結果が出る。


「売るのが好き」と言うのは「接客が好き」というよりなんだか下品だ。

そんなところも「売る」が好きな理由だ。


「売る」に対して愛情を感じ始めた私は、前世は有名な商人だったのではないかと思い始め、嬉々としながらそのことを話してみた。すると

「前世って人間じゃないらしいよ」

と言われた。

そうなのか。

まああまりこの人生良いものとは思えないし、前世で人殺しだったのだろう、しょうがないと今世を哀れんでいたが、人間じゃないとするとなんなのだろうか。

「なんか強い動物だったんじゃない?弱肉強食の強食の方」

そうか。じゃあ自分はなんだと思うの?と聞いた。

「んー、虫とか。」


虫に本を与えてしまったが大丈夫だっただろうか。

本の虫とかいうからいっか。



そんなあついバレンタイン。

チョコレイトディスコだ。