よろこび
見てくれている、というのは嬉しい。
そうです、あなたのことです。
あのクリスマスのあと年末年始で忙しく、働き、15日が経った。
このところ心の調子が良くない。
ネカフェの時に電車に恐怖を覚えてしまったからか、動悸がすることが多く、乗るのに相当の体力が要る。そうならないためにコントロールしようとするのだが、これにも体力が要る。
もう、へとへとだ。
新年になり、親戚に挨拶をしに行った。
私に向ける話題は決まっている。
「いい人いないの?」
ドラマの世界のようだが、本当の話だ。
しかし言いたくなる気持ちも分かる。むしろ、それしか私に対して話題がないのだろう。
弟には部活や学校の話題がある。父や母は病気の話。26歳独身の姉には何を聞くだろう?
そう考えると結婚が一番に出てくるのも仕方ないし、私が逆の立場であっても聞くだろう。
ただそれは、ものすごく、重い。
従姉妹で結婚していないお姉さんが二人いるので、どちらが先に…の件も毎回行われる。
もう来年は仕事と嘘を吐いて挨拶まわりに行かなくてもいいかなと思い始めている。
ただそれはそれで面倒くさい問題が起こるのだろうけれど。
先日、職場の仲の良い友達に赤ちゃんが産まれた。
切迫早産で苦しんで、何ヶ月も入院し、やっと産まれた。母子ともに健康で、本当に良かった。入院中連絡を取っていたので、生まれたと聞いたときは本当に嬉しかった。
人間から人間が産まれてくる。生命の神秘を間近で感じた。
かかりつけの病院の待合室で順番を待っていると、少し体調の悪そうな若いお母さんと、生まれたばかりの赤ちゃんを抱っこしている若いお父さんがとなりに居た。
赤ちゃんの湿疹の相談に来ているようだった。
赤ちゃんが少しぐずって泣いていたので、ふとそちらの方を見た。
気づくと私は泣いていた。
涙が止まらなくなった。
以前もこの感情を味わったことがある。
かかりつけ医の先生に、一度婦人科に女性ホルモンの検査をしに行くことを勧められ、婦人科に行った時だ。
弟が生まれた時に行った時は小さかったので感じなかったが、産婦人科は他の病院とはオーラが違う。足を踏み入れた時から、内科や外科との違いを感じた。
女性が多いからだろうか。
それもあるかもしれないが、なにより、
「生命」
が溢れていた。
「生きる」パワーが充満しているようだった。
待合室にはお腹の大きい妊婦さんが育児雑誌を読み、旦那さんやお母さんと談笑をしていた。
不妊治療の患者さんも居たと思うが、私は、その病院の隅まで漂う生きるパワーに圧倒されてしまった。
自分を見失いそうだったので、待合室で流れていたテレビのためしてガッテンに集中していた。
自分の番が呼ばれ、先生と話すうちに、ためしてガッテンのパワーが切れたのか、涙が出てきた。
理由は詳しく説明出来ないのだが、
たぶん、
「自分は子どもを産めるのか。」
ということと、
「自分は子どもを産まなければいけないのか。」
ということだと思う。
私の中にずっとある「死」への思いを持ったまま、産婦人科という「生」への場所に来てしまったことへの罪悪感を感じていた。
「私はこんなに死にたいのに、ここにいる人たちはみんな新しい命の誕生を心から望んでいる」
という、罪悪感だった。
かかりつけの病院でいつもの薬を処方してもらうために待っている時、ぐずっている赤ちゃんを見て泣いたのも、
「結婚」「出産」「育児」「生」「死」
全て襲いかかってきて耐えられなくなってしまった。
泣きながら診察室に入り、先生と話した。
「新年って焦りません?」
と私は聞いた。
親戚に挨拶しに行き、結婚を急かされる。世の中は今年の目標を決め前に向かって進もうとしている。みんな前を向いている。それが、私を焦らせる。
先生の答えは、
「一日が変わっただけだよ。」
31日が1日に変わるのも、16日が17日に変わるのと同じことだ。
そう言われて、もっと涙が溢れてきた。
そんなこと分かってる。と思った。けど、その言葉が欲しかったのだろう。
簡単に焦る気持ちを抑えることは出来ないが、この言葉を反芻していれば、きっと時が経ち、いつかは解放されていると思う。
目標なんか決めていたら、こんな人生になっていない。
毎日必死に、死を近くに感じながら、生きているのだ。
これから起こるはずだろう
横浜からの帰りである。
握手会が終わって、買い物をしようとデパートに入ったら目当ての店が見つからず、お腹も空いたのですぐみなとみらいからは離れた。横浜駅構内のコーヒー屋のホットドッグを食べ、いま電車に乗っている。
この文章を打つ前まで、本を読んでいた。
本を読みながら、時々見える窓の外の都会の夜景がすごくきれいだった。
頭の中、奥の方がカサカサと鳴った。
乗り物で移動する時、流れていく外の風景を見るのが大好きだ。
その気持ちが頭の中でカサカサ動いた。
ああ、そうだこれだ、と思った。
もう見えないくらい奥の方に仕舞ってしまった。
もっと感じたい。
もっと心からなにも考えずに楽しみたい。
でも深くに仕舞い込みすぎて、
忘れていた。
出掛けたい。
遠くに出掛けたい。
なんの心配もなくきれいなものをきれいと言いたい。
色んな景色を見たい。
行きたいところがたくさんある。
けれど、行きたいという気持ちすらも思わないように、この気持ちは、隠した。
いまに不満があるわけではない。
ようやくここまで来れたことをわかっているから、もうがんばったから、もう高望みはしない。
いまがずっと続いていればいい。
ただ、夜景がとてもきれいだったから。
とんがり
ここ一週間くらい、うまくいっていない。
一週間なのか、期間も覚えてないが、行こうと思っていたところに行かなかったり、やらなきゃいけないことを後回しにしている。
なんだかあまり調子がよくないのは全部天気のせいにする。
そして歯が痛いからにする。
今日久しぶりに歯医者に行った。
レントゲンを撮る機械が変わっていたが、先生は相変わらず格好良かった。
雰囲気イケメンだ。
久しぶりの歯医者は楽しくてずっとニヤニヤしてしまった。
小さな歯医者の待合室にいる、私を含めた四人全員がメガネをかけており、恥ずかしく面白かった。
他人に口のなかを見られているのも面白い。
大口を開けて、唾液を吸い取られながら、人に見せない口のなかを凝視されているのだと思うと吹き出しそうになった。
久しぶりすぎて治療中どこを見てればいいの分からず「天井に絵が書いてあれば子どもは喜ぶんじゃないかなあ〜」などと考えていたが急に思い出した。
目を瞑るんだった。
ああ。先生ごめん。
「こいつ目開けてるよ、やりづれぇなあ」と思わせてしまったかもしれない。
イケメンには嫌われたくない。
神経をとるのに使う機械が、ピーピー鳴っていたのがすごく面白かった。
私の神経が奏でる音色だ。
麻酔をたくさん打って、口が閉まらなくなり、うがいが上手くできないのが滑稽すぎる。
痛い時に反射的に声を出してしまったが、先生が「あとちょっと、はい、大丈夫?よく頑張ったね〜」と優しくしてくれたので全く痛くなかった。
イケメンに優しくされたら痛みなど感じない。
削られて低くなった奥歯は仮の詰め物をされて白くなっている。麻酔が切れて痛くなったので薬を飲んだ。
明日はコンタクトを買いに眼科に行く予定だ。
眼科の先生は関西弁で面白いが、
イケメンではないので楽しみではない。
奥から
ねむい。
今日はとてつもなく眠い。
寝てるのに眠い。家に着いたらすぐご飯食べてお風呂入って寝ようと思うがたぶん無理だろう。だって眠いから動きが遅くなる。
私はこのブログを毎日更新するのだろうか?
書くのが楽しみになってはいるが三日坊主なのできっと続かない気がする。でも書きたい。書きたいと思っているうちは書いておこう。別に誰も何も思っていない。
ねむい。
休憩が基本45分なのだが、10分でご飯食べ、5分で移動し、30分きっちり寝ている。横になれるソファがあるのでそこで寝ている。ソファが埋まっているときは椅子を三つ繋げて寝る。どうしても寝たいのだ。
休みの日は「寝る日」を決めて一日中寝る。ご飯も食べずに寝ているとお母さんに怒られるが、空腹を通り越すと何も感じなくなる。
ただ、次の日エンジンをかけるのに時間がかかるのであまり良い方法ではないのだと思う。それでも一日体を休める日を作らないと怖いのだ。休みだからといって出かけるのは、休みではない。動く日だ。何もせず、身体中のスイッチをオフにしていく日が必要なのだ。
たぶん、そんな日は必要ないのかもしれない。
しかし怖いのだ。怖いから休む。
書いていてそんな感じがした。
明日働いたら休みだ。
だが出かける用事があるので休む日は明後日に持ち越しだ。
ねむい。
ねむいと言葉が湧いて出てこないことが分かった。
ねむるまえに
「明日いる?」
と聞かれたら好きになるからやめてほしい、嘘、やめないで。
閉店作業をしながら、なにかペットを飼ってるかという話題になった。
「私犬飼ってたよ、死んじゃったけど」と言ったら、
高校生の男の子が「ぼく犬種当てます!」と言ってきた。
家の犬は雑種だった。
「犬種?…当ててもいいけどたぶんその質問じゃ一生当たらないよ」
「えっそんなマイナーなんですか?」
と色々あったがたぶん当たらないので「雑種だよ!!!」と言い放った。
するとびっくり、雑種がなにかいまいち分かっていないのだ。
「最近はミックスっていうらしいよ」と伝えると「ああ!」と納得していた。
驚きである。家の周りの犬はほとんどが雑種だった。みんな死んでいるが。
小さいころから犬が飼いたくて、一軒家に引っ越してから犬を飼ってもらった。近所で生まれた子犬を引き取ったのだ。太っている子が良いらしいと聞いていたので一番丸々としている子を引き取った。その体つきから丸っこい名前を付けた。
母犬も茶色い雑種だ。父犬はどこの馬の骨か分からない。
馬ではなく確実に犬だが、母犬が散歩していたか脱走したときに子を授かって帰ってきたからどこの犬か誰も知らないのだ。
子犬たちがクリーム色や白だったので、きっと父犬は白い犬だったのだろう。絵の具みたいなものだ。
家の犬はクリーム色で、耳と尻尾だけ少し茶色だった。耳は食べたくなるくらい可愛かった。
ミックスと雑種だったら雑種の方が似合う犬だった。愛想はあんまり無かったけど「ただいま」と「おかえり」は必ず小屋から出てきて匂いを嗅いでくれた。
最後を看取ったのも私だ。
飲み会で遅くなった私を待っていてくれたように、撫でながら眠った。
死んだときはよく分からなかった。人間のように心臓が止まったら「ピー」となる機械も付けていないし、声も出さないので、あれ?息してない?あれ?もしかして死んだ?という感じだった。
振り返ると深い息を繰り返しているうちに亡くなったと思う。
午前二時くらいだったので、家族に「死んじゃったかもしれない」と起こしに行って、みんなが揃ってから実感して涙が出た。
15年も生きたので、最後の方は徘徊するように同じ場所をぐるぐる回っていた。目も見えないので色んな所にぶつかっていた。少し面白かった。
でも、最後眠る日の夜まで、ご飯は毎日食べ続けた。なんとも食い意地のはった犬だった。
あの時丸々太った子を引き取って良かったと心から思った。
若者よ、雑種はかわいいぞ!
赤いキラキラ
何度目のブログだろう。
前のハテナブログは鬱日記になって、パスワードやらなんやらを忘れて更新出来なくなってしまった。
久しぶりにそのブログを見ると見知らぬ人からコメントが来ていて驚いた。彼はどんな人なんだろう。
えびのことも知っていて、誰も見ないだろうと思った鬱日記に返信をくれていた。
男の人だというのがなんとなく文章から伝わってくるけれど、彼がまたこのブログを見つけてくれたらいいなあ、と思いながら新しく登録した。
コーヒーを飲みながら、いや、ラテなのでコーヒーじゃない、コーヒーはまだ選んで飲めるほど舌が大人じゃない。それもめちゃくちゃシロップの入った甘いやつだ。今日から発売の新作だ。今日からと知らず頼んだがミーハーみたいになってしまったなと誰も思ってないのに感じている。
そう、ラテを飲みながらテラス席を見ていたら高校生のカップルがショッピングモールの夜景を見て笑っていた。
羨ましいなあ。
最近はそんなことしか考えていない。寝る前に出てくる人は同じ人だし、お風呂に入っていても電車に乗っていても仕事していても考えているのは同じ人だ。
三月からずっとこの調子だ。
七月に事件があってからは少し変わってしまったけれど。
今日テレビを見ていたら女優さんの訃報のニュースで、生前の言葉が取り上げられていた。
「天涯孤独」
「それ以上でも以下でもない」
この二つは繋がった文章ではないが、すごく心に残った。
「クリスマスのディズニーランドに好きな人と行く」という夢を小さい頃から持っている。
毎年叶わずにもう17回くらい今年もだめだったかと思っている。
クリスマスが好きだ。クリスマスソングも大好きだ。その真骨頂みたいなものがこの夢だ。
毎年まったく届かない、むしろ何も見えないで終わる。
今年もそうなるのだろう。
いまのところそんな感じだ。
もういっそのこと一人で行こうかと思い始めている。
いや違う、誰にも言っていないが大学生の時に一人でクリスマスのディズニーシーに行ったのだ。経験者だ。
誰にも言っていないくせにここに書いて全世界に公開している。いいのだ、もう時効だ。あの時はどうしても終わってしまうショーが見たくて、学校に行くふりをして教科書をロッカーに預けてアフター6で行ったのだ。写真をたくさん撮って、アトラクションはショー系のものを見て、一人でご飯を食べ、いかにもいつも一人で来ている常連ですよアピールを出しつつ飄々と楽しんだ。
すごく楽しかったし一人でも心から感動した。気分が上がってその時好きだった人にお土産を買った。渡すはずもなく数年後捨ててしまった。
夜景を撮っているとカップルから写真を頼まれて撮ってあげた。バイトで培った観光地で写真を撮ってあげる技術を発揮して、二人のクリスマスの思い出を残してあげた。一枚だけだとキメ顔出来てない可能性があるので、二枚撮ってあげた。二人は元気だろうか。
クリスマスが好きだ。装飾品もクリスマスソングもわくわくする。今日から発売の新作ラテも美味しい。
それ以上でも以下でもないのだ。